大学院から合格するまで
就職活動がうまくいかなかったことことから進学を決めた会計専門職大学院へ通うべく、実家のある埼玉に戻り、2005年の4月からは渋谷まで電車通学となりました。北上尾まで自転車(途中まで大学のときに買った原付バイク)でいき、そこからは湘南新宿ライン一本でいけ、朝の通勤時間帯もそれほどは混んでいなかったと思います。
それはともかくとして、世間的にも大学院生という大手を振って歩くことのできる身分であったのは心強かったです。実のところそれが会計専門職大学院に通うことの最大…といってはなんですが…のメリットだったかもしれません。
一学年80人くらいの学生で、大学からそのまま進学してきた人に加え、社会人経験者も結構多かったです。社会人経験者の人は、いまから思えば、ある程度お金も持っていることもあってか久しぶりに学生となったことを大いに満喫しているようでした。
特に院一年生のうちは毎週のレポート提出が結構大変でしたが、在学中はともかく卒業するその年である2007年に合格することを目標に、日夜勉強に励んでいました。在学中はダブルスクールをすることはせずに、市販の教材だけでやっていました。
自習室は年末年始含めて利用可能だったので、2006年だか2007年の正月の1月1日は大学院の自習室に行った記憶があります。
一部の学生は学生生活をそのまま満喫しているのを尻目に、愚直に勉強を続けた結果、公認会計士試験の試験形式が大幅に変わった2006年のその最初の試験の短答式試験に、在学中に合格することが出来ました。会計専門職大学院は無事卒業すれば短答式試験が4科目あるうち3科目が免除されますが、自分はそれを使うことなく自力で合格しました。
が、その年の論文式試験は、もとより論文式試験のみの科目である租税法と選択科目は全く勉強せずに、一部科目合格のみがあれば良いという方針でおり、といっても試験が迫ってきても気合は入らない状況で受けました。その年の夏に埼玉県富士見市のプールで女児の死亡事故が起こったということをやたらと記憶しています。
そんな状況のため、1度目の論文式試験は科目合格もなく過ぎ去りました。そしてさすがに論文式試験となると受験予備校的なところに通わないわけにはいかないので、大原専門学校に通うようになります。
そのまま大学院を卒業、夏の二度目の論文式試験に向けて試験浪人生活に入ります。
模試の成績からしても、余裕ではないもののいけなくもない感じでした。ただ、一抹の不安は感じており、本試験が近づくにつれてなんとなく集中力も散漫になっていっていました。
2007年の夏の本試験が終わり、ともかく解放されました。結果発表まで3カ月はあるので、この間は久しぶりの自由を満喫しました。新宿に短期のアルバイトを見つけ1か月くらい通い、その他ふらふらしつつ発表直前には大学院時代の友人に誘われて当時人生二度目の海外旅行に行ったりと、好きに過ごしていました。また、当時は監査法人への就職活動が合格発表前に行われていて、2007年はまだJ-Soxバブルとやらがある空前の売り手市場だったので、そういったイベントにちょくちょく行って、歓待を受けていました。というより、試験が終わったそばからタクシーにのせられ、都内某ホテルにて慰労会のようなものが開かれているのに参加していました。
2007年の試験は果たして不合格となりました。インターネットではなく、さいたま新都心にある財務局に見に行き、自分の受験番号がないことを確認しました。一気に合格者数が増えた年ですがその恩恵にはあずかれず、後で試験結果の開示をしたところ、もう少し届かないところにいました。詰めが甘かった、ということにつきます。
そうしてもう一年の試験浪人が決まりました。これがツラかった。公的な身分がまったくなくなってしまったわけです。一方、高校の同級生はじめまわりは既に社会人です。どうしても引け目を感じます。いまから思い返せば、まわりはそれほど気にしてないはずなので、自意識過剰という面が多分にあるのですが。
ともかく、本格的な試験浪人生活となりました。浪人が決まる前からしていた新宿とはまた違うアルバイトを週に1,2度しつつ、また勉強の日々です。そのバイトは、そこのボス的な人にあるときから何故か嫌われ、居心地がだいぶ悪くなってしまい、本試験も近づいてきたのを機にほどなくして辞め、あとはコンスタントに勉強していました。
その頃にはもう自分の置かれた状況に慣れていました。前年に合格すべき人は合格していたこともあって、模試の成績は上位を維持しており、事故が無ければ合格は出来るだろうなという感触はありました。
迎えた2008年の本試験はちょうど北京オリンピックの最終盤の時期でした。試験会場は早稲田大学で、家から毎日通うことも十分できたわけですが、東西線沿線の飯田橋のホテルに泊まりました。慣れぬホテルで寝付かれない中、三日間ある試験の初日の夜の2008年8月22日に、男子4×100mリレーで初のメダルを獲得した生中継を見て、勇気づけられたことを覚えています。
そして本試験を終え、手ごたえもあったので、合格はまず大丈夫だろうなと思っていました。本試験が終わって直後、久しぶりにドラクエでもやろうと1週間ばかりドラクエをしてました。これがためにちょっと人生が変わる(といっては大げさかもしれないけれど)ことになるのですが。